少女桜塚 序
見上げれば空へ空へのびゆく一面の竹の青さ。
竹林の奥で、遠くでかすかに聞こえる鳥の羽音。
春先の陽の光が幾重にも重なり合う葉の隙間からこぼれてゆらゆら踊る。
土に見え隠れするのは堅く踏みしめられた古い木の段差。
雨上がりで滑りやすい地面をゆっくり踏みしめる、少女の小さな下駄の鼻緒は淡い桜色。
一段一段のぼるたび深い紅色の帯の上にさらさらと黒髪が流れ落ちる。
疲れましたか、と先を歩く書生が振り返った。
いいえ、と疲れを隠して微笑むと書生はもうすこしですから、と山道の先へ向き直り黙々と足を進めた。
駅へ着いてこっち、ろくな言葉も交わせないでいる。
今日は暖かいですねとか、迎えに来て下すってありがとうとか、叔父さんやお兄さんがたはどんな案配ですかとか。口の中で繰り返すだけで声が出ない。
何度目かの勇気を振り絞って顔を上げると、書生の広い背中越しに懐かしい屋敷の門が見えた。
母は幼い少女だけを連れて、父の元からこの屋敷から去った。
理由は解らない。知りたくとも母も父も、もういない。聞けずじまいだった。
古めかしい木の門構えも波打つ瓦も、玄関前の立派な松の木も、あの日のまま。10年前のまま。
澪は叔父や兄たちとの10年ぶりの再会に胸躍らせながら敷居をまたいだ。